ゲンショウ JAPAN STYLE - LIFE STYLE 2025.10.20 早朝は もう暗い そしてだいぶ涼しい 神無月下旬 も坐しております 以前も考えた どこからか自己なのか 心と身体は分けるものなのか (デカルト的二次元論) 身体があるから自己を感じるのか (メルロポンティ思想) そもそも自己は常に変化するので どこから自分なのか という問い自体が幻想なのか (仏教的) と自問自答 そもそもすべては脳の電気的活動 (思考・感情・記憶・意識) であり 生き物も石も木も分解していくと 原子核から核子からクオーク と同じ構成物 であるならそれは 物理的には一時的世界観であり (仏教でいうと諸行無常) であり空(くう) なのかもしれない では自分の存在は虚無で無意味なのか 固定した実体としての自分はいない が流れの中に生きている 一瞬一瞬の自分は確かにある それが無我 (自分という境界が幻想) それは現れては消える波の泡 の様な現象 つまり生も死も私もあなたも 連続した動きの一部にすぎない のかも知れません 坐禅は考えずただ坐れ と言われますが どうやら何も考えずにぼーっとする (つまり寝る) という意味ではなく 思考で自他を分けて判断している意識 を越えることにあるらしく 私が何を得るか 私がどう見られる 私が正しいか間違っているか そうした私中心の思考から離れ ただ現象としての今を生きる これが禅における無我で生きる状態 自然の流れに逆らわず無為自然に生きる 自分という小さな波を手放し 全体のうねりの一部として生きるという感覚 世界と一体となることが自由そのもので (宇宙でも可) 結局自分とは固定した存在ではなく 世界の流れの中で常に生まれ 変わり消えていく現象そのもの なのかもしれない と考えるとあっという間に時間 過ぎました 坐禅 面白いです (七年目) 人間は 結局そんな 生き物です 坐禅無我現象空海自分 SHARE SHARE